小林真央さんの言葉に、涙が溢れ、止まらない。『優しさと愛に溢れた世界』

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ステージ4のガンの告知を受けて、闘病生活の果てに亡くなられた小林真央さん。

イギリスのBBCでは2016年11月に、人々に感動を与える世界各地の女性にスポットを当てる「100人の女性たち」という企画で日本人では初めて小林真央さんを選出していました。

このときに小林真央さんがBBCに宛てて送った手紙が本当に凄くて、言葉を失ってしまい、そして可哀想と思った自分が恥ずかしくなり、素晴らしい人生を送った小林真央さんを本当に尊敬しました。

自分も、本当にそうありたいと思わされる言葉です。

BBCに寄稿した小林麻央さんの思い

2年前、32歳の時に、私は乳癌であることを宣告されました。
娘は3歳、息子はまだ1歳でした。

「治療をして癌が治れば、元の自分に戻れるのだから、大丈夫!」と思っていました。
けれど、そんなに簡単ではありませんでした。

今も、私の身体は、がんと共にあります。

私は、テレビに出る仕事をしていました。病のイメージをもたれることや弱い姿を見せることには「怖れ」がありました。
なので、当時、私は病気を隠すことを選びました。

隠れるように病院へ通い、周囲に知られないよう人との交流を断ち、生活するようになっていきました。

1年8か月、そんな毎日を続けていたある日、
緩和ケアの先生の言葉が、私の心を変えてくれました。

「がんの陰に隠れないで!」

私は気がつきました。

元の自分に戻りたいと思っていながら、私は、陰の方に陰の方に、望んでいる自分とはかけ離れた自分になってしまっていたことに。

何かの罰で病気になったわけでもないのに、私は自分自身を責め、それまでと同じように生活できないことに、「失格」の烙印を押し、苦しみの陰に隠れ続けていたのです。

それまで私は、全て自分が手をかけないと気が済まなくて、全て全てやるのが母親だと強くこだわっていました。

それが私の理想の母親像でした。

けれど、病気になって、全て全てどころか、全くできなくなり、終いには、入院生活で、子供たちと完全に離れてしまいました。

自分の心身を苦しめたまでのこだわりは失ってみると、それほどの犠牲をはたく意味のあるこだわり(理想)ではなかったことに気づきました。

そして家族は、私が彼らのために料理を作れなくても、幼稚園の送り迎えができなくても、私を妻として、母として、以前と同じく、認め、信じ、愛してくれていました。

私は、そんな家族のために、誇らしい妻、強い母でありたいと思いました。

私は、闘病をBlogで公表し、自ら、日向に出る決心をしました。

すると、たくさんの方が共感し、私のために祈ってくれました。

そして、苦しみに向き合い、乗り越えたそれぞれの人生の経験を、(コメント欄を通して)教えてくれました。

私が怖れていた世界は、優しさと愛に溢れていました。

今、100万人以上の読者の方と繋がっています。

人の死は、病気であるかにかかわらず、いつ訪れるか分かりません。

例えば、私が今死んだら、人はどう思うでしょうか。

「まだ34歳の若さで、可哀想に」

「小さな子供を残して、可哀想に」

でしょうか??

私は、そんなふうには思われたくありません。

なぜなら、病気になったことが私の人生を代表する出来事ではないからです。

私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、愛する人に出会い、2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生だからです。

画像出典:

だから、

与えられた時間を、病気の色だけに支配されることは、やめました。

なりたい自分になる。人生をより色どり豊かなものにするために。

だって、人生は一度きりだから。

最後に

家族で見ていたテレビで放送されたものでしたが、流れる涙を止めることができず、妻もたぶん泣いていたと思います。

夫海老蔵さんのブログの中でも、そこに書かれる言葉から、心の変化が伝わってきます。

家族全員がまとまって、愛し愛される関係

亡くなられた日に、言葉もほとんど話せなくなった真央さんが、家族のために残した言葉が

愛してる

….という言葉も本当に素晴らしいと思った。

家族、親族に向けて話した言葉ですが、この言葉は海老蔵さんを通じて、彼女を優しく包み込んでいた世界中の彼女を応援していた方々にも届くような強い輝きを持った言葉に思えた。

『私が怖れていた世界は、優しさと愛に溢れていました。』

真央さんが今いる世界も、きっと『優しさと愛に溢れている世界』だと思う。
これからは、そこから愛した家族を見守ってあげていて欲しいと思います。

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